3回目のセッション 平成12年11月7日

★退行催眠のイメージ★

 胸が強く押されて苦しい。母親が一生懸命に押している。母親の手を、なかなか払えないが、やっと泣きながら払える。『期待に応えられなくてごめんね』と泣きながら、何度もこの言葉が出る。
  最後には『私はお母さんが認めてくれなくてもいい』『自分のやりたいことをする』と言えた。

 退行催眠の中で、母が押しつけてくるいろいろな事を受け止めなくてはいけない、でもそれはすごく苦痛だ、という自分がいました。でも、それが出来なかったら母に受け入れてもらえない、という気持ちが無意識のうちにあったように感じました。母親に受け入れてもらえないことが怖かったのです。
 でも、当時はそんな風に母に気を使ったり、母にあわせているとは今までほとんど意識した記憶がありません。自分がすごく不自然な状態でいた、という事がわかるにつれ、逆に"「母に受け入れられる良い子」を演じきれずに脱線してしまった自分"の方が強く感じられて、母に対する怒りよりも「やっぱり自分は出来そこないなのかな。お母さんの思うような良い子になれなくてごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」と、情けない気持ちばかりが出てきてしまい、自分が存在する意味がないのではないか、と思ってしまう強い気持ちが出てきてしまいました。
 この頃、いろんな事が少しづつ見えてきたので、両親と同じ家で住む事が苦痛に感じられるようになってきました。息苦しい。体調は相変わらずハッキリしませんでしたが、その息苦しさが辛くて、思いきって父に「家を出たい、お金を貸してほしい。」と言ってみました。でも、体調不調の原因や、細かい話はもちろん出来ません。体調が悪いのに、仕事もしていないのに、どうやって生活していくんだ?家を出たいからお金を貸してくれ?何をわがまま言っているんだ!父はそのような反応でした。そして、「仕事の選り好みばかりしているから続かないんだ。」などと説教されて、その話は終わってしまいました。
 ダメだろうとは思っていたけれど、苦痛から逃れたい一心だったので、却下されてかなりへこんでしまいました。そして父の相変わらずの態度(だからおまえはダメなんだ、とかとにかく「できっこない」と否定的な事しか言わない)に諦めている自分を感じました。
 この頃から父との接触を避けるようになり、同じ家の中でもあまり顔を合わせなくなっていきました。
 この後、母と話をする機会がありました。家にいること(この時は父と一緒に暮らしている事)がとても辛く、ストレスを感じているので、どうにかして逃げ出したい気持ちだったので、母に助けて欲しい、(まぁ、甘えた考えだったのかもしれないのですが。)ひたすら「父と一緒だと息が詰まる。はやく家を出たい。」と訴えました。でも、母は私の身体の状態が良くないというので「今はムリでしょ。」という答えしか返しませんでした。
 それでもなんでも、とにかく「いずれは絶対に出て行く」と言い張る私に、最後に母はスネた子供のように「出来るものなら、じゃあ、やってみれば。」と、父と全く同じような事を言ったのです。
 結局、両親の側に戻ってくる、とかいう事なら協力するけれど、出て行く、となると全く協力してくれないし、聞く耳も持たないのです。この時、「ああ、もう誰も助けてくれない。自分ががんばるしかないんだ。」と思い、だんだん母親との会話も減って行いきました。
 この頃から、結局家を出るには自分で働いてお金を貯めるしかない、と思いはじめ、仕事をする事を具体的に考るようになりました。

BACK NEXT